2025.12.11 愚かさという“構造”について
- 道家やすなり

- 4 日前
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更新日:21 時間前
愚かさという “構造” について
人は誤りを指摘されても、そう簡単には変わらない。
これは家庭でも職場でも、政治の世界でも、誰もが経験する共通の現象だ。
間違いを指摘されると、素直に受け入れるどころか、むしろ意固地になっていく。まるで誤りそのものが、自分という存在を守る鎧のように固まっていく。
こうした人々の多くは、自分の中に“奇妙な信念”を抱えている。
他人の助言は自分を脅かすものであり、変わることは敗北だと感じてしまう。
だからこそ、周囲がどれだけ 「ああした方がいい」 「こうした方が楽になる」 と声をかけても、心に届くことはほとんどない。
人生の成功者が、こうした人々に対し、あえて口を挟まず静かに見守るのには理由がある。彼らは知っているのだ。変わる人は、言われる前から変わる。
変わらない人は、何を言われても変わらない。だから教えるなら、学ぶ器のある “良い人” に教えた方が、よほど社会のためにも、自分のためにもなる。
では、変わらぬ人
―ここではあえて “愚かな者” と呼ぶ―
には、どのような特徴があるのだろうか。
第一に、誤りを誤りと認めない頑なさ。
自らの非を認めることを拒むため、助言は敵意と受け取られ、
議論はたちまち感情の応酬となる。
第二に、失敗を決して自分の内側に置かない。
「環境が悪い」「周りの理解がない」と責任を他者に転嫁し、
結果として改善の芽を自ら摘み取ってしまう。
第三に、学ぼうとしない姿勢。
良い情報を得ても、行動に落とし込む力がない。
器に水を注いでも、底に穴が開いているようなものだ。
そして最後に、苦しみを回避できるのに、自分で拾いにいく奇妙な癖がある。
変わろうとしないから、同じ壁に何度もぶつかる。
周囲としては、もはや見守るほかない。
成功者が黙して語らない背景には、こうした“人間の構造”がある。
人は誰しも変わりたいと口では言う。
しかし実際には、変わることを最も恐れているのもまた、人間なのだ。
だからこそ、教えるべき相手を選ぶことが、人生における重要な知恵となる。
良い人に、良いことを教える。
それが巡り巡って、自分の人生も、社会全体も豊かにしていく。
結局のところ、愚かな者たちは、自らの愚かさによって人生を形づくり、また耐えていく。一方で、成功する人々は、語らずともその姿を感じ取り、静かに次の一歩を踏み出していくのである。











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