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岐阜市議会議員 道家やすなり公式ブログ



道家やすなり
6 日前


2026.03.02 ボランティア号
ボランティア号、ガラス交換。 昨年の夏、草刈機から飛んだ石でガラスが割れた。 今、車検でガラスを交換です。

道家やすなり
6 日前


2026.03.02 暴力議員の看板
暴力議員の看板、外されてる。

道家やすなり
6 日前


2026.02.27 【覚悟は、言葉ににじむ】
2018年11月19日から20日にかけて行われた名古屋市議会の行政視察。 懇親会の席で、自民党の藤田和秀市議が減税日本の田山宏之市議に暴言や平手打ちを行ったとされる問題が起きた。事実が広く知られるようになったのは2019年3月。田山市議は愛知県警に告訴し民事訴訟でも争われた。のちに名古屋高裁は不法行為を認定し、慰謝料の支払いを命じる判決が確定している。 議会の内部での出来事。 しかし、市民の目には 「内部」 という言い訳は通じない。議員同士の暴力は、議会の品位そのものを傷つけ市民の信頼を揺るがす問題である。 当時の河村たかし市長は、 この事態を重く受け止め、事実関係の検証や再発防止の必要性に言及したとされる。議会の出来事であっても、市政の最高責任者として無関心ではいられないという姿勢を示した。 一方、ある日の岐阜市。 市議会の一会派と市長との意見交換会の席で、いま岐阜市で問題となっている市議による市職員への暴行・暴力事件について問いただしたところ、市長の答えは 「その件は議会の方で」 という趣旨にとどまり、事案そのものへの踏み込んだ言及はなかった

道家やすなり
2月27日


2026.02.19 定例の勉強会
いろんな話を聞いて、みんなで話して。 公民館に場所変えが必要になってきた。

道家やすなり
2月19日


2026.02.18 NHKの記事 2026年2月17日午後7時04分
2026年2月17日午後7時04分 NHKの記事です。 岐阜市議会自民党会派所属の議員が 今月、私的な懇親会で泥酔し市の職員に絡むなどしたとして、会派から 「責任ある言動と行動を求める」 などとして口頭で厳重注意を受けました。 岐阜市議会の最大会派「自民岐阜」 によりますと、 会派に所属する 野本琢磨議員 は今月4日、岐阜市内で開かれた市の職員などとの私的な懇親会で泥酔し、男性職員に絡んだりしがみついたりしたということです。 野本議員は、以前も別の懇親会で 酒に酔って トラブルを起こし、会派から厳重注意を受けていて、17日会派が当時の状況を確認したところ、議員は事実関係を認めたうえで 「反省している」 と述べたということです。 このため会派は議員に対して 「市議会議員や最大会派の議員としての自覚を持つとともに、今回の件を反省し、今後、二度と同じような事態を起こすことのないよう、責任ある言動と行動を求める」として再び口頭で厳重注意しました。 NHKのこれまでの取材に対し、野本議員は「ノーコメントだ」としています。

道家やすなり
2月18日


2026.02.17 議員辞職が、こんなに続いていいのか
議員辞職が、こんなに続いていいのか 本日、自民党の渡辺貴郎副議長が辞職した。 岐阜市議会の副議長という重責にありながら、その職を離れる決断である。思い起こせば、昨年は玉田和浩県議の突然の訃報があった。その後、岐阜市議会の和田直也議長が、2025年5月の議長就任からわずか約3か月で辞職。玉田県議の後継を自ら標榜し、県議補欠選へと転じた。それぞれに事情があり、志があることも理解はする。政治は生き物だ。挑戦を否定するつもりはない。 しかし、である。 こうも立て続けに 「要職に就く → ほどなく辞職」 という流れが繰り返されると、市民はどう受け止めるだろうか。 「またか」その一言で済ませてよい話なのか。 議長や副議長は、単なる肩書きではない。議会運営の舵取りを担い、市民の負託を体現する象徴でもある。その職に就くということは、一定期間、その責任を引き受ける覚悟を示すことでもあるはずだ。だからこそ、短期での辞職が続けば、どうしても “踏み台” という印象が残る。裏切りとまでは言わない。だが、複雑な思いが胸に残るのも事実である。 私は若い頃、副議長の打診を二度

道家やすなり
2月17日



道家やすなり
2月16日


2026.02.13 若さの証明より、遠ざかる勇気
若さの証明より、遠ざかる勇気 若いころの私は 「自分を証明する」 ことに忙しかった。どんな時も 「あいつはできる」 と言われたい。その一心で誰よりも強く主張し、誰よりも早く結論を出し、誰よりも目立とうとした。振り返れば、あれは向上心というより意地だったのかもしれない。一般的に、人は三つの大きな穴に落ちると思う。 一つは「自分を証明しようとする意地」だ。 ある案件で、どうしても自分の提案を通したい場面があった。内容そのものよりも 「自分が言い出した」 という事実にこだわっていた。周囲の慎重論に耳を貸さず、強引に進めた結果、後で恥ずかしさを刻むことになった。ことは前に進んでも、信頼は一歩も二歩も後退していた。 二つ目は「感情で決断する危険」。 厳しい批判を受けた日、悔しさのあまり翌朝すぐに対抗する構えを用意したことがある。勢いで放った言葉は拍手も呼んだが、後味は悪かった。冷静に熟考すれば、もっと違う道があったはずだ。感情は瞬間的な熱をくれるが、長く灯る光ではない。 三つ目は「他人の評価に気をとられる不自由」。 信用・噂・陰口・拍手の大きさ。若いころは

道家やすなり
2月13日


2026.02.12 「弱さ」の連鎖が、まちを動かす
「議員は地元に弱い。地元は役所に弱い。役所は議員に弱い。」 私は選挙の折、よくこの一節を口にする。一見すると皮肉のようであり、権力構造の裏側を暴く言葉のようにも聞こえる。しかし三十年近く政治に携わってきた今、この言葉は単なる揶揄ではなく地域社会の “重力” を示す現実だと実感している。 議員は地元に弱い。 それは票に弱いという意味ではない。困っている顔に弱いのだ。自治会の一言、商店主の嘆き、子どもを抱えた母親の不安。そこに背を向けられないから役所の扉を叩く。 地元は役所に弱い。 制度は難しく予算は限られ、窓口は高い。正論を言われればそれ以上は踏み込めない。だから市民は議員に託す。 そして役所は議員に弱い。 これは力関係の話ではない。議員という肩書があるからこそ、行政は丁寧に耳を傾ける。私自身、どれだけ無理を申し上げ、どれだけ現場で汗をかいていただいたことか。冷静に受け止めてくださる職員の姿勢は、今もこちらから頭を下げ感謝の思いだ。 だが、議員側はどうか。 浮き足立つ者もいる。立場を地位と勘違いする者もいる。正直に言えば、私自身も前半は “のぼせて

道家やすなり
2月12日
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