2025.09.29 小粒な総裁選と「国のかじ取り」の行方
- 道家やすなり
- 9月29日
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更新日:9月30日
小粒な総裁選と「国のかじ取り」の行方
今回の自民党総裁選を眺めると、
政界に通じた人々の間では「高市早苗こそが望ましい」との声が高まっている。保守色の濃い姿勢が際立ち、候補者の中では最も「筋を通す人物」と見られているからだ。
もっとも、「言うは易く行うは難し」。
今回名を連ねた五人はいずれも立派なことを口にするが、実行力という点では心許ない。過去数年の総裁選が、口先だけの美辞麗句で彩られたことを思い起こす、感を禁じ得ない。
一方で、
国民の中には別の懸念を抱く層もある。「ここで高市が総裁になれば、自民党は延命し、反省なき体質がまた温存されるのではないか」という危惧である。能力のない者を飾り立てて役に就けるのは、腐った柱に金箔を貼るようなものだ。見栄えは良くとも、崩壊は早い。そうした見立てから、あえて“器量不足”の人物が総裁となった方が、むしろ党の解体・再生に近づくと考える人もいる。
今回の構図は、高市と小泉の一騎打ち。
1回目の投票では、党員票に支えられた高市が首位、小泉が次点。そして決選投票で議員票を背景に小泉が逆転勝利-。
そんなシナリオが有力視されている。結果として、国民の多くは「またか」と深い溜め息をつくことになるのだろう。
問題は、その先だ。
小泉進次郎は、自ら「解党的出直し」を唱える。しかし、彼の学歴や発言からにじむ学力不足は、世界の檜舞台に立つ指導者としてはあまりに心許ない。トランプ前米大統領のような強烈な交渉相手と渡り合えるだろうか。あるいは各種の首脳会談で、日本を背負い堂々と議論を交わせるだろうか。まるで竹槍で戦車に挑むかのように、力の差は歴然である。
それでも、
この選挙が自民党解体の道を拓くなら、歴史的転換点と呼べるかもしれない。ただし忘れてはならないのは、「国破れて山河あり」とはいえ、国そのものの倒壊を招いては元も子もないということだ。
主権者である国民の声が届かぬ政治が続けば、日本の屋台骨はじわじわとキシむ。渦中の候補者たちは、その重みを知る由もないだろう。しかし国民にとってこの総裁選は、国の未来そのものがかかっている。

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