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岐阜市議会議員 道家やすなり公式ブログ


2026.02.12 無所属という旗を掲げて
「ずっと一人で無所属。ボッチくんですね。」 そう言われて、私は少しも見すぼらしいとは思わない。むしろそれが私の金看板だ。振り返れば、十四年間は自民党籍の議員。その後、離党勧告を受け十五年間を無所属で歩いてきた。合わせて三十年近い歳月になる。 その間「道家は終わった」と何度笑われただろう。 議会で発言しても、政党の後ろ盾はない。保守の立場にありながら、組織の傘もない。いわば “底辺取り” の政治である。だが、底辺を引き受けることは決して卑屈ではない。 議会の中には、執拗ないじめに遭い政党どころか会派にも入れてもらえない議員もいる。そんな姿を見るたび 「ならば私が一番下を取ろう」 と思う。下には下がいると分かれば、人は少しだけ気持ちが軽くなるものだ。誰よりも低い点をご馳走にする。自分が一歩下がれば、周囲は一段高く見える。舞台で言えば、私は主役ではなく大道具係だ。背景を整え、舞台を支える役目。しかし大道具がなければ芝居は成立しない。 「誰よりも自民党らしい」 と、みんなに言われても誇るつもりはない。組織の本流にいることが価値なのではない。むしろ、流れか

道家やすなり
2月12日


2026.02.12 語録…
議員として地域問題を行政に聞いていただき、その対応数はあらけない。 依頼者からお礼を言われ、私は行政にお礼をお伝えする。 お互い様で、議員がすごいわけでなく、議員を輩出する制度でみんなが助かる。 どれだけ助けて頂いたことか。絶対、感謝を忘れてはいかん。

道家やすなり
2月12日


2026.02.11 議会人は「公人」である。
議会人は「公人」である。その自覚を欠いた夜の醜態。 「酒の席だった」「悪気はなかった」 こうした言い訳がこれまで幾度となく不祥事の後に繰り返されてきた。しかし、今回の事案にそれが通用する余地は一切ない。 二月四日の夜 議員と部長級職員による懇親会の席で起きた一連の行為は、単なる無礼や酒癖の悪さという次元を、明確に超えている。 現職議長、議長経験者、複数の部長 が同席する中、問題の議員は泥酔状態となり、先輩議員に対して横柄な言動を繰り返したという。場の空気を壊すだけでなく、注意を促した部長の声にも耳を貸さない。その時点で、すでに議会人としての自制は完全に失われている。 さらに事態は 帰りのタクシー前で決定的に一線を越える。部長に対し 「ハグをしたい」 と言いながら終始顔に手を回し、行為はエスカレートし、最終的には平手で顔を叩くという暴力に及んだ。メガネが壊れなかったからハグだった、という理屈が成り立つとでも思っているのだろうか。常識的な社会人関係において、その解釈を受け入れる者は一人もいない。 これはハラスメントであり、明確な暴力行為である。 「注

道家やすなり
2月11日


2026.02.07 今回の選挙では
今回の選挙では コロナでできたバラマキから大きく変わり、減税という新種の荒業の作戦に出た。税は暮らしを支えるためにあるはずです。日々の暮らしの中で 「なんとなく苦しくなってきたな」 そう感じる場面が増えていないでしょうか。物価は上がり光熱費も食費もじわじわと重すぎの社会。一方で、税金や社会保険料は静かに、しかし確実に差し引かれていきます。ここで一度、税の役割そのものについて考えてみたいと思います。 かつての国づくりが教えてくれること 歴史を振り返ると、建国後しばらくのアメリカ合衆国ではおよそ100年を超えて、 〇公的な社会保障 〇年金制度 〇公的医療保険 こういった仕組みはありませんでした。これは 「弱い人を切り捨てていた」 という意味ではありません。国が担う役割を意識的に小さくしていたということです。税は必要最小限。国家は肥大化しないよう自らを抑えていました。 税は「蛇口」のようなもの 税はよく水に例えられます。暮らしに必要な分だけ蛇口をひねる。足りなければ少し足す。不要になれば締める。これが本来の姿ではないのか。 ところが今の日本では、蛇口が

道家やすなり
2月7日


2026.02.06 住宅高騰は、もはや「都会の話」ではない
―岐阜市・一宮・春日井で起きている足元の現実― 住宅価格の高騰と聞くと、東京23区の1億円超マンションを思い浮かべる方も多いだろう。しかし今、その波は確実に私たちの生活圏―岐阜市・一宮市・春日井市といった東海の中核都市にも及び始めている。 東海圏全体の新築分譲マンション平均価格は、2023年時点でおよそ4,500万円。20年前と比べ、1,600万円前後の上昇だ。 東京ほど急激ではないが、東海の賃金水準を考えれば決して軽い上昇ではない。 →「岐阜なら何とかなる」は、もはや昔の感覚 岐阜市では、駅周辺や幹線道路沿いを中心に、新築マンションが4,000万円台後半から5,000万円近くで販売されている。一方、郊外で戸建てを検討しても建築費や外構費の上昇により、総額3,500万〜4,000万円台が現実的なラインとなっている。加えて、岐阜市特有の車2台前提の生活は住宅ローンとは別に家計を圧迫する。 「住宅費は抑えられても暮らし全体では余裕がない」 こうした声は決して少数ではない。 →名古屋通勤圏の“受け皿”が限界に近づく一宮 一宮市は長らく 「名古屋に通えて

道家やすなり
2月6日


2026.02.06 病と疑念、裁かれる政治—山本太郎氏辞職が照らす“国の違い”
山本太郎氏が、健康上の理由で議員辞職を表明した 本人は動画で、多発性骨髄腫(血液のがん)“またはその一歩手前”にあると語り、治療と進行抑制を最優先にするとした。政治の決断としても重いが、何より命の決断である。まずは治療と回復を願うべきだ。ところが同時に、世間には別の 「ざわめき」 が生まれた。 「触れてはならないことに踏み込んだから、圧力が加わったのではないか」 こうした声は、事実として裏付けられたものではない。病は病であり、辞職は本人の選択だ。ここは揺るがせにしてはいけない。それでも、なぜ噂が生まれ消えないのか。理由は、山本氏個人の “陰影” というより、国ごとに違う 「政治の清算の作法」 にあると思う。 ◎日本→裁かれないかわりに、説明も尽くされない 日本で政治家が責任を問われるとき、司法より先に 「辞任」「引退」「説明不足」 で幕が引かれがちだ。トップ級が刑事責任を問われる場面は極めて限られ、社会は “手打ち” に慣れている。その一方で、語られない余白が残る。そして、この余白はときに危険な形で埋められる。 「語られない=何かある」「表に出な

道家やすなり
2月6日


2026.02.01 伝統という「軸」を持つということ
伝統という「軸」を持つということ 自民党の高市早苗総理大臣が語った 「相撲の土俵に女性は上がらない」 という姿勢に、強い違和感を覚える人もいるだろう。しかし、私はむしろその言葉に一本の芯を感じた。 それは男女不平等を是とする発言ではない。 男女平等という理念を否定したものでもない。高市氏が語ったのは 「日本で長く守られてきた伝統を、軽々に時代の空気で塗り替えない」 という覚悟である。 昨今はどうだろう。 何かにつけ 「アップデート」 が求められ、声の大きい側の主張があたかも正義のように扱われる。だが、その多くは流行語の寄せ集めであり自分自身の考えを持たないまま時代に運ばれているだけではないか。 男女平等という言葉は美しい。 しかし、リベラルな思想だけで男女の関係性や役割のすべてが整合するとは私は思えない。かつての男尊女卑を是正する議論は、すでに一定の役割を終えている。今起きているのは、新しい正しさを競い合う 「披瀝合戦」 であり論点のすり替えにすぎないようにも見える。 本当の平等とは同じことをすることではない。 「これは男の自分がやろう」...

道家やすなり
2月1日


2026.01.31 県都の距離感
政治の世界では、選挙の一場面がその後の関係性を長く規定することがある。岐阜県政もまさにそうした局面を経験してきた。 今回も私は、柴橋支持で選挙を進めているが思うことがある。 現在の知事である 江崎禎英 氏が最初に挑んだ知事選挙。この初戦では、自民党県連が明確に現職支持でまとまらず組織は二つに割れた。そうした不安定な状況のなかで、県内の市町村長らは当時の現職知事への 「団結支持」 を表明する。その輪の中に、県都トップである 柴橋正直 市長も加わった。行政運営の安定を重んじる首長として、決して不自然な判断ではない。だが一方で、岐阜市民の間からは異論も噴出した。 「なぜ県都が、県・市議会も割れているのに現職側に立つのか」 この疑問が市民感情として残ったことも否定できない。結果、初戦では涙を呑むがやがて江崎氏は次の選挙で勝利し知事に就任する。 実はその頃、柴橋市長自身も知事への意欲をにじませ、市議会の質疑でもその姿勢を正される場面が幾度もあった。こうした経緯が重なり、江崎知事と柴橋市長の間に一定の距離感が生じたのは事実で、それが市議の間で共有されている認

道家やすなり
1月31日


2026.01.30 ふと、ある先輩議員のことを思い出した。
ふと、ある先輩議員のことを思い出した。 もう亡くなられたが、身体に不自由を抱えながら議員を続けていた方だ。 ある時、ご本人がこう言われた。 「みんなと同じようにはできないからね。だから、俺は一日一つずつやってるんだ」 その言葉どおり、派手さはないが毎日欠かさず続ける政治活動は、同僚議員の間でもよく語られていた。 なぜ、今になって思い出すのか。 それは、今の政治の現場で一足飛びの成果を狙うような派手な振る舞いばかりが目につくからだと思う。 例えるなら、 毎日コツコツ薪をくべる人と、たまに大きな火花を上げる人の違いだ。 前者は目立たないが部屋を暖め続ける。後者は一瞬まぶしいがすぐに冷える。 政治は、本来どちらであるべきなのだろう。 物価高で生活が苦しいと感じる人が増えている今、私たちは市議として毎月65万円の歳費に加え、無税の15万円の政務活動費をいただく立場にある。この 「当たり前」 に慣れてしまってはいないか。そう思うと正直恥ずかしくなる。 一日一つずつ。派手さはなくても火を絶やさない政治。 松葉杖を使われながら、歳を重ねられ次第に車いすへと。あ

道家やすなり
1月30日


2026.01.29 岐阜市長選 二つの「優先順位」
市長選挙で問われるのは、 理念よりもスローガンよりも「限られた予算をどこから使うか」という優先順位だ。 今回の岐阜市長選。 現職 柴橋正直 氏と、新人 大須賀しづか 氏。 両者の政策を並べてみると、争点は意外なほどシンプルに整理できる。一つは、市街地活性化の考え方。もう一つは、物価高への向き合い方だ。柴橋氏は現職として、これまで進めてきた岐阜駅周辺や中心市街地の再開発を軸に都市の骨格を動かす発想を取る。名鉄高架化をはじめとする大型インフラ整備もその象徴だ。 「街を動かせば、人が動き経済が回る」 ―成長を呼び込む循環を重視する立場と言える。 一方の大須賀氏は、 そうした大型事業よりも、今の暮らしに直結する政策を優先すべきだと訴える。中心市街地についても、高層ビルや再開発より商店や生活の場としての再生を重視する姿勢を見せている。違いは、物価高対策にも表れている。 柴橋氏は、現職として国や県の制度と連動しながら、全体として市民生活を支える立場を取る。一方、大須賀氏はごみ袋有料化の凍結等、家計への直接的な負担軽減策を前面に出す。どちらが正しい、という話で

道家やすなり
1月29日
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