2026.01.09 天人呼応という政治感覚
- 道家やすなり

- 1月9日
- 読了時間: 3分
更新日:1月10日
天人呼応という政治感覚
結果は必ず私たちに返ってくる
近年の国政を振り返ると
東北大震災、そして能登半島地震という二つの巨大災害は単なる自然現象としてではなく、政治の力量が露わになる局面であったと言える。災害そのものは人の力では防げない。しかしその後の判断、決断、対応の速度と質は紛れもなく人の営みであり為政者の責任である。
中国古代の思想に
「天人呼応」という考え方がある。政治や人の行いが乱れれば、天が災いや異変として応えるという思想だ。一見すれば迷信のようにも映るが、その本質はきわめて現実的だ。統治の質は必ず結果として社会に現れる。それだけの話である。この視点は、国政に限らず地方行政にもそのまま当てはまる。たとえば、岐阜市では中央市場の停電事故が市民生活や流通に影響を及ぼした。各務原市では、いわゆるピーファス問題への対応が遅れ市民の不安と不信を長引かせる結果となった。問題の本質以上に、初動の遅さ、判断の鈍さ、決断の弱さが市民の苦しみを増幅させた点は否めない。
これらを「不運」や「想定外」で片付けることは容易だ。しかし、市民が見ているのは出来事そのものではない。その局面で、誰がどのように考えどのタイミングで決断したのかである。動かない理由を積み上げた政治と、動いた結果の責任を引き受けた政治。その差は必ず暮らしの重さとして現れる。天人呼応とは災害を天罰と見る思想ではない。為政者が自らの立場と責任をどう自覚しているかを問い続ける思想である。判断を先送りし責任を分散させ決断を避ける政治は一見すると波風を立てない。しかし、そのツケは時間差でより重い形となって社会に返ってくる。
地方自治においても同じだ。
市民は完璧な行政を求めているわけではない。誤りがあっても、迷いがあっても、状況を思い計り、決断し、説明し、その結果を引き受ける姿勢を求めている。そこに政治への信頼は宿る。そして何より、私たち政治家はそのように見られる立場にあるという事実を真摯に受け止めなければならない。評価されるのは言葉ではなく結果であり、意図ではなく影響である。天が応えるとすれば、それは自然現象ではなく市民の声や生活の現実という形で現れる。天人呼応という言葉が二千年を経ても語られるのは、それが迷信ではなく政治の本質を突いているからだろう。国であれ地方であれ、為政者の行いは必ず社会に反映される。その理から私たちは逃れることはできない。
思い計る政治感覚――。
それは専門知識や制度設計以前に、為政者に求められる最も根源的な資質である。結果は必ず私たちに返ってくる。その覚悟を持てるかどうかが、いま改めて問われている。











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