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2026.01.09 自治会離れの正体

  • 執筆者の写真: 道家やすなり
    道家やすなり
  • 1月9日
  • 読了時間: 4分

更新日:1月10日

自治会離れの正体

「任意」の仮面をかぶった行政下請けの限界


来月は、私の町内は定例自治会総会を迎える。

今、その準備に入っているさなか、多くの問題というより、そもそも論からべき論化していく運営に赤信号を感じる昨今となってきた。自治会からの退会者が増え、新規加入者が少なくなっている。全国の地方で共通する現象。これを「地域のつながりが希薄になったからだ」と片付けるのは、あまりに表層的である。


多くの自治会は、法的には任意団体でありながら

実態は行政の末端業務を担う組織として機能してきた。広報物の配布、調査票の回収、防災名簿の整備、行事動員。これらは本来、行政責任で行われるべき業務である。しかし現実には「地域のことだから」という言葉のもと、無償の労力として住民に委ねられてきた。補助金が交付されることでその関係は固定化された。補助金は支援の名を借りた業務委託となり、自治会は「任意でありながら断れない」異様な存在になっていった。入会すれば負担が増え退会しても生活は困らない。そうなれば、退会が増えるのは合理的な選択である。


近年、こうした負担増への対処として

自治会運営を「支援」する名目で市職員を自治会に張り付け、書類作成や調整業務を補佐させる仕組みを導入する自治体も現れている。岐阜市もその様な手法が増々強くなってきた。


だが、これは本当に「自治」を支える施策なのだろうか。

たとえるなら、歩くのが辛くなった人に靴を軽くするのではなく常に肩を貸す人を横に立たせる様なものだ。歩けている様に見えても足腰は次第に弱りやがて一人では立てなくなる。

行政職員が常駐する自治会はもはや自主的な住民組織ではない。行政の判断、行政の段取り、行政の書式に依存することで「自分たちで決める力」は静かに奪われていく。負担軽減のつもりが、結果として自治会を行政の付属物、いわば特殊性を帯びた準公的団体へと変質させているのであれば、それは本末転倒と言わざるを得ない。


自治とは、行政が手を差し伸べ続けることではない。

距離を保ち、責任を分け合うことで初めて成り立つ。行政が前に出過ぎれば、自治は形骸化し、住民は「決める主体」から「従う対象」へと変わっていることを慎重に考えるチャンスである。改革に反発が起きるのは当然。「昔から続いてきた」「地域の絆が壊れる」「補助金がなくなる」。これらの声は、必ずしも既得権益の主張ではない。多くは、これまで積み上げてきた努力や役割が否定されることへの恐れから発せられている。


だからこそ、改革は否定から始めてはならない。

これまで支えてきた人々の貢献を認め記録し、敬意を示したうえで「同じ形では続かない」という現実を静かに共有する必要がある。やめるのではなく引き継ぐ。その姿勢がなければ改革は必ず頓挫する。


同時に、自治会の役割は分解されるべきだ。

防災や安全といった最低限の生活インフラは、全世帯を対象とした半公共的な仕組みとして整理する。一方、祭りや親睦行事は、完全に自由参加の任意活動に戻す。行政協力業務は、自治会から切り離し委託業務やデジタル化で対応する。すべてを一つの団体に押し込む時代はすでに終わっている。反発への対処で最も重要なのは「変えても困らない」という安心を先に示すことだ。補助金は急に減らさない。役職は強制しない。自治会が断っても行政サービスは止まらない。これらを新制度として明確に示すことが本当の支えではないか。

 

自治とは、行政にとって都合の良い下請けではない。

住民の生活を守るための、自主・自立の仕組みである。支えるつもりで支配していないか。その問いを行政自らに向けることなくして自治会の再生はあり得ない。自治会を守ることが目的ではない。守るべきはそこに暮らす人々の日常だ。そのために、変えるべきものを変える勇気がいま行政に問われている。長らく自治会長という役職を務めてきた私の新たな視点である。



 
 
 

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岐阜市議会議員 道家康生(どうけやすなり)

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