2026.01.23 若手首長という「次の走者」
- 道家やすなり

- 22 分前
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若手首長という「次の走者」
岐阜県内を見渡すと、静かに存在感を強めている若手首長がいる。
柴橋正直(岐阜市)藤井浩人(美濃加茂市)高木貴行(多治見市)浅野健司(各務原市)
いずれも市政の現場で実績を積み「次」を意識せざるを得ない世代だ。しかし、先の知事選挙で江崎氏が当選したことで県政の時間軸は一気に固定された。少なく見積もっても向こう十五年、下手をすれば二十年。この顔ぶれが知事交代を現実の射程に入れる余地は極めて限られている。
ここで重なるのが、今回の急な衆院解散・総選挙だ。
一見すると地方首長には無関係に映るが実はそうではない。たとえるなら、陸上競技のリレーで前の走者が転びかけた瞬間に似ている。バトンを受け取る準備をしていた者だけが流れを変えられる。
今回の衆院選は、実はまさにその「一瞬」だった。
県議からの挑戦者が並ぶ選挙構図は確かに堅実だ。だが、率直に言えば現在名を連ねる国政への鞍替え県議の多くは、先に挙げた首長たちの政治的厚みや執行経験に及ばない。にもかかわらず、同格の首長たちは動かなかった。あるいは動けなかった。それは「慎重」だったのか「時期尚早」だったのか。いずれにせよ、一度しか開かなかった扉が音もなく閉じたのは事実である。
もっとも悲観するには早い。
市政という現場は、政治家を鍛える最良の修練場だ。水道、保育、財政、災害対応―抽象論では済まない現実と向き合った首長は、数年で別人のように成長する。刀で言えば、今はまだ鍛錬の途中だろう。火に入れ、叩き、冷やす工程を経て初めて刃は冴える。
近い将来、これら首長たちが「バージョンアップ」した姿で、再び県政や国政の舞台に現れることを期待したい。政治は待つ者より準備した者に微笑む。次にバトンが落ちる瞬間、誰が走り出せるか。そのときこそ、岐阜の次章が開かれると私は信じる。











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