2025.09.02 ボタンの掛け違いが招く議会不信
- 道家やすなり
- 9月2日
- 読了時間: 2分
「始めが肝心」とはよく言ったものだ。
たった一つのボタンの掛け違いが、後に着物全体を歪ませるように、政治の場においても小さな配慮不足が大きな亀裂を生む。
いま岐阜県が10年計画で進めようとしているLRT構想。
その説明をめぐり、県から岐阜市議会の一部、すなわち与党系議員にだけ情報提供がなされていた事が明らかになった。
新聞報道でも取上げられ、私自身も市職員から説明会開催の報を聞いた。だが、これは本来あるべき姿とは程遠い。
議会は「合議の府」である。
予算審議や政策議論においては、賛成派のみならず反対意見を持つ議員にも誠心誠意、説明し向き合うことが不可欠だ。
賛同者だけを重んじ、異論には耳を貸さぬ態度は、「和を以て貴しとなす」という民主政治の根幹を損なう行為にほかならない。
確かに県議会は自民党が圧倒的多数を占め、公明党も寄り添う安定多数だ。しかし岐阜市議会は百花繚乱、さまざまな立場の議員が混在する。
その現場で、与党議員にのみ説明を重ねる姿勢は、「井の中の蛙、大海を知らず」と言わざるを得ない。市の協力なくして、今回の県のLRT構想は絵に描いた餅に終わるだろう。
今日の昼休み、自民党幹事長が「市議全員で県から説明の場を設けたい」と慌てて軌道修正を試みた。
だが、それも「後の祭り」。一度芽生えた不信は簡単に消えはしない。「覆水盆に返らず」、既にこぼれた水は元には戻らないのだ。結局、議会は人間模様の縮図にすぎない。
派閥、思惑、打算――
そうしたものの積み重ねが「不信の連鎖」を生み、やがては議案否決という形で表面化する。
議員の値打ちを云々するつもりはないが、「数のうちに入らぬ」と軽視された経験を持つ者ほど、声を荒らげることもあるのだ。
政治は信頼の積み木である。
一片でも不揃いがあれば、積み上げた塔はやがて崩れる。
だからこそ、最初の一手、最初の説明が肝要だ。
小さなボタンの掛け違いが、大きな構想の頓挫につながらぬよう、為政者には肝に銘じてもらいたい。

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