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2025.09.07 果たしてこの国の舵取りは

  • 執筆者の写真: 道家やすなり
    道家やすなり
  • 9月7日
  • 読了時間: 2分

更新日:20 時間前

「親の七光り」とはよく言うが、近年の国政を見ていると、その光は薄れ、むしろ影ばかりが目につく。

世襲の議員が多くの議席を占める現状に、国民は「仰ぎ見るどころか、ため息ばかり」といった思いでテレビやネットの報道に触れている。


本来、選挙は「契約」である。

候補者は公約を掲げ、主権者はそれを信じて一票を投じる。ところが、その約束事が守られず、選挙が「羊頭狗肉」となれば、有権者の悔しさは募る一方だ。

特に真摯に政治を求める若者や、いわゆる野党を支持する人々にとっては、その失望感は計り知れない。


一方で、自民党を支える層には、代々続く安定した暮らしを背景に、世襲の恩恵を当然と受け止める人々が少なくない。まるで「温室の花」と「荒野の雑草」

毎日の糧を得るために汗を流す庶民と、代々の土地や資産を受け継いで何不自由なく暮らす人々の間には、言葉に尽くせぬ断絶が横たわる。


そして今また、総理大臣の辞任が大きな見出しとなって紙面をにぎわせている。だが国民にとって重要なのは、政局の見出しではなく「明日をどう切り拓くか」という一点だ。

次に現れる政治家が「粉飾と演出」で票を稼ぐのか、それとも「温故知新」の精神で真に国を支えるのか・・・。

その分かれ目に私たちは立たされている。

私たち主権者ができることは、結局のところ、まずは家庭や家族という国家最小単位を守り抜くことだろう。


「隗より始めよ」とは言うが、国家の再生も、ひとり一人の足元から始まるのかもしれない。


振り返れば、地元でも「金持ち」と言われる人は、先祖からの田畑を受け継ぎ、それを盾に地域の先行馬のごとく振る舞っている。だが、私は決して「誰が悪い」と他人を責める人生は歩んでこなかった。むしろ「和して同ぜず」

不満を並べるのではなく、次代に繋ぐ努力を重ねたい。


果たしてこの国の舵取りはいかに進むのか。

拙速ではなく、腰を据えて「以心伝心」の対話を重ねる為政者が現れることを、心から願うばかりである。


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