2026.02.07 今回の選挙では
- 2月7日
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今回の選挙では
コロナでできたバラマキから大きく変わり、減税という新種の荒業の作戦に出た。税は暮らしを支えるためにあるはずです。日々の暮らしの中で「なんとなく苦しくなってきたな」そう感じる場面が増えていないでしょうか。物価は上がり光熱費も食費もじわじわと重すぎの社会。一方で、税金や社会保険料は静かに、しかし確実に差し引かれていきます。ここで一度、税の役割そのものについて考えてみたいと思います。
かつての国づくりが教えてくれること
歴史を振り返ると、建国後しばらくのアメリカ合衆国ではおよそ100年を超えて、
〇公的な社会保障
〇年金制度
〇公的医療保険
こういった仕組みはありませんでした。これは「弱い人を切り捨てていた」という意味ではありません。国が担う役割を意識的に小さくしていたということです。税は必要最小限。国家は肥大化しないよう自らを抑えていました。
税は「蛇口」のようなもの
税はよく水に例えられます。暮らしに必要な分だけ蛇口をひねる。足りなければ少し足す。不要になれば締める。これが本来の姿ではないのか。
ところが今の日本では、蛇口が半ば固定され「水が出すぎていませんか?」と聞くこと自体が難しくなっています。制度は立派、でも暮らしはどうですか。日本の税や社会保険の仕組みは、制度としてはとても精巧です。収入が増えれば負担も増える。消費すれば自動的に納める。仕組みとしては実に公平に見えます。
ただその一方で、納める側の生活の余裕が置き去りにされていないのか、と。役所の財布は安定しても、肝心のわれわれの家計の財布は、だんだん薄くなっていく―そんな感覚を持つ方も少なくありません。
税に必要なのは制度の「正解」より「加減」
税率が高いか低いか、だけが問題ではありません。今、この負担に耐えられるか、下げる選択肢は残されているか。そして、暮らしの息苦しさに制度は気づいているか。こうした加減を見る視点が、いま強く求められています。一度作った制度を守ることも大切です。しかし、守るために人の生活がすり減ってしまっては本末転倒です。税は集めることが目的ではありません。人が安心して暮らし続けられる社会を支えるための手段です。
もし今「払えるけれど、余裕がない」そんな声が増えているなら、それは制度を見直す合図なのではないか。政治家が不勉強に公約にする、このご無礼な姿勢に我々がもてあそばれ、馬鹿にされていいのか。
後援会の皆さまとこうした身近な感覚を大切にしながら、これからの税や行政のあり方を、共に考えていきたいと思っています。











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