2026.02.13 若さの証明より、遠ざかる勇気
- 2月13日
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更新日:2月14日
若さの証明より、遠ざかる勇気
若いころの私は「自分を証明する」ことに忙しかった。どんな時も「あいつはできる」と言われたい。その一心で誰よりも強く主張し、誰よりも早く結論を出し、誰よりも目立とうとした。振り返れば、あれは向上心というより意地だったのかもしれない。一般的に、人は三つの大きな穴に落ちると思う。
一つは「自分を証明しようとする意地」だ。
ある案件で、どうしても自分の提案を通したい場面があった。内容そのものよりも「自分が言い出した」という事実にこだわっていた。周囲の慎重論に耳を貸さず、強引に進めた結果、後で恥ずかしさを刻むことになった。ことは前に進んでも、信頼は一歩も二歩も後退していた。
二つ目は「感情で決断する危険」。
厳しい批判を受けた日、悔しさのあまり翌朝すぐに対抗する構えを用意したことがある。勢いで放った言葉は拍手も呼んだが、後味は悪かった。冷静に熟考すれば、もっと違う道があったはずだ。感情は瞬間的な熱をくれるが、長く灯る光ではない。
三つ目は「他人の評価に気をとられる不自由」。
信用・噂・陰口・拍手の大きさ。若いころはそれらに一喜一憂していた。だが、他人の評価に縛られるほど判断はぶれる。外からの声ばかりを気にしていると、自分の内側の声が聞こえなくなる。
歳を重ねた今、思う。
かつては「やること」に価値を置いていた。
今は「近づかないこと」に意味を感じる。
意地を張らない。
感情で動かない。
評価に振り回されない。
それは消極的な姿勢ではない。むしろもっとも強い我慢だと思う。若い頃は、穴の縁に立ちそこに飛び込む勇気を競っていた。今は、その穴に近づかない静かな勇気を選ぶ。人生は、証明する場ではなく整えていく場なのだろう。
今日もまた、市民の声を聞く一日が始まる。
声の大きさではなく、言葉の重さを見ること。
自分の存在を示すより、物事を前に進めること。
それが、歳月が教えてくれた小さな悟りなんだと思っている。











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