2026.02.27 【覚悟は、言葉ににじむ】
- 2月27日
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2018年11月19日から20日にかけて行われた名古屋市議会の行政視察。
懇親会の席で、自民党の藤田和秀市議が減税日本の田山宏之市議に暴言や平手打ちを行ったとされる問題が起きた。事実が広く知られるようになったのは2019年3月。田山市議は愛知県警に告訴し民事訴訟でも争われた。のちに名古屋高裁は不法行為を認定し、慰謝料の支払いを命じる判決が確定している。議会の内部での出来事。しかし、市民の目には「内部」という言い訳は通じない。議員同士の暴力は、議会の品位そのものを傷つけ市民の信頼を揺るがす問題である。
当時の河村たかし市長は、
この事態を重く受け止め、事実関係の検証や再発防止の必要性に言及したとされる。議会の出来事であっても、市政の最高責任者として無関心ではいられないという姿勢を示した。
一方、ある日の岐阜市。
市議会の一会派と市長との意見交換会の席で、いま岐阜市で問題となっている市議による市職員への暴行・暴力事件について問いただしたところ、市長の答えは「その件は議会の方で」という趣旨にとどまり、事案そのものへの踏み込んだ言及はなかったという。
もちろん、議会の規律は議会が正すべきだという論理はある。だが、市職員は市民生活を支える公務の最前線にいる存在である。その職員に暴力が及ぶことを、行政の長がどう受け止めるのか。そこには、市民生活への思いの深さがにじむ。
暴力は、どんな理由があろうと排除されなければならない。
「決してあってはならない」と、まず言葉にすることが第一にあるべきではないか?そして、それが組織の空気を決める。政治不信は、制度の欠陥から生まれるのではない。責務ある立場にありながら、痛みに向き合おうとしない姿勢から生まれるのだ。
思い出すことがある。
ある日、娘が「どんなことがあっても、家族はお父さんの味方やよ」と言ってくれた。その言葉に、夫婦で涙を流したことがある。
守るべきものがある人間は覚悟が違う。
市長という立場も同じではないか。当然、議員も同じだ。守るべきは市民であり職員であり市政への信頼である。
厳しい局面に立ったとき、人の人格は言葉に現れる。
責任の重さをどう引き受けるか。
他人事にするのか、自らの問題として抱えるのか。
あの名古屋の対応と、いま岐阜で示された姿勢。
そこに感じるのは、単なる対応の差ではない。
市民の幸せを本気で願う覚悟の差ではないだろうか。
政治の本質は、権限ではない。
市民から借りている職員、という覚悟である。











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